九州最西北端 日本渚百選 玄海国定公園。
目の前には玄界灘が広がり、特に夕日が沈む時間帯の景色はオススメです。
波戸岬名物 さざえのつぼ焼もご堪能下さい。
★波戸岬は『恋人の聖地プロジェクト』サテライトに認定されています!
阿つ焼・一夜干し・いかしゅうまい・蒲鉾・塩辛
呼子朝市通りに面し、創業明治30年よりの店舗です。卵と白身魚で作るカステラ風「阿つ焼」かまぼこをはじめ、海産物を中心とした土産品を豊富に取り揃えています。
七ツ釜は、国の天然記念物に指定され、玄武岩が玄界灘の波涛の侵食作用でできたものです。
岩肌が柱のように規則正しく並んでいるものは柱状節理といい、溶岩が冷えて固まる際に収縮し発生します。
最大の海食洞は間口3m、奥行きは110mあり、波の状況により舟で中に入ることができます。
「展示場建て替えのため、2021年10月1日よりふるさと会館アルピノ旧多目的ホールにて一時移転開業中」
豊穣の秋祭「唐津くんち」(毎年11/2~4)で使われる14台の曳山がずらり勢揃いしています。多種多様な姿勢の造形美は、稀に見る優れた工芸品として、佐賀県の重要有形文化財に指定されています。
唐津のまちの中心部にある唐津神社は、入口にそびえたつ白い鳥居が印象的。
建てられたのが奈良時代といわれる古い社で、住吉三神と神田宗次とを祀っています。
唐津の最大のお祭り「唐津くんち」は、唐津神社の秋季例大祭で、11/2~4に14台の曳山が唐津のまちを巡行します。
◆ 唐津神社とは
其の昔、神功皇后さまが三韓へ御渡海の折、舟路が不明のため、住吉の三神に祈願され無事目的を達成せられて、御帰還の際、松浦の海浜に 鏡を捧げておいのりされたのが起源とされています。
その後数百年も経って、その社殿さえわからなくなっていたとき、時の領主神田宗次公に、或夜神が夢枕に立たれ「海浜に至り、波の上に宝鏡のあるをとりて祈れ」というお告げをいただき、早速海浜に至れば波間に一つの箱があり、これ開けば正に宝鏡であった。
宗次公はこれ正しく、昔神功皇后が捧げられし宝鏡ならんと、その神威を畏こみ、このことを時の帝孝謙天皇に奏聞せられたところ朝廷におかれてはその神威を感じ給い詔命を降して「唐津大明神」と賜ったのであります。
その後幾星霜を経て文治二年その子孫神田広に至り社殿を再建して、祖先宗次公の功を追慕し、その神霊を合祀して二ノ宮としました。
慶長七年寺沢公が築城に際しては領内の守護神として崇敬し、その後大久保、松平、土井、水野、小笠原の各藩主も祈願所と定め、総氏神として崇敬の誠を捧げました。
明治六年郷杜、昭和十七年県社に列格、戦後は宗教法人として今日に至っております。
◆ 御祭神
一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公 相殿 水波能女神
◆ 御例祭
11月3日(唐津くんち)
◆ 縁起
其の昔、神功皇后、三韓へ渡海に際し道中安全を住吉三神に祈願奉る。帰朝の後、御神徳著しきを感じ松浦の海浜に宝鏡を懸げて三神の霊を祀り給ふ。
◆ 天平勝宝7年孝謙天皇の御宇・西暦755年
時の領主・神田宗次公、一夕神夢を得て海浜に至れば一筺の浮び来る有り。之を探りて開ければ一宝鏡なり。之、正しく皇后の捧げ給ひしものならむと畏みて帝に奏聞す。
『渡り腮(あご)構法』で組まれた木造の店舗で、和生菓子を中心とした、和の喫茶が楽しめます。
展示スペースには、唐津焼をはじめ日本各地の手仕事や工芸品を集めています。
結納品を販売する店として昭和48年にスタートしました。
ご相談も受け付けております。
唐津城は、豊臣秀吉の家臣“寺沢志摩守広高”が慶長7年(1602年)から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。
現在の天守閣は昭和41年に完成したものです。
別名「舞鶴城」ともいわれ、桜・藤の名所でもあります。
1Fにはお土産処も併設されています。
平成29年7月に天守閣内のリニューアルが行われました。
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