魚介類・干物・野菜・果物・漬物・生花・菓子・陶器
イカの町呼子の朝は朝市のおばちゃんの元気な声で明けていきます。
元旦を除き毎日市が開かれ、おばちゃんとの会話や触れ合いで、おまけがついたりして楽しいお買い物を提供します。
日常のスーパーでのお買い物と違った触れ合いの異空間をお楽しみください。
海岸から駆け上がる階段のように、大小283枚の田んぼが幾重にも連なり、季節によって様々な表情を見せてくれます。また、NPO法人「地球活性化支援センター」が認定する「恋人の聖地」にも選ばれたロマンチックな棚田です。
写真提供:玄海町
パレアは、1日中ゆっくりお寛ぎいただけるゆったり優しい温泉施設です。
緑の山々と青い海、ここ玄海町の自然の美しさが心まで癒してくれます。
泉質/単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
効能/神経痛・筋肉痛・関節痛・冷え性・疲労回復・健康増進・慢性消化器病など
施設:大浴場・露天風呂・ドライサウナ・水風呂・寝湯・薬湯・家族風呂(2室)・マッサージ・温水プール・トレーニング室・個室休憩室・お食事処
唐津のまちの中心部にある唐津神社は、入口にそびえたつ白い鳥居が印象的。
建てられたのが奈良時代といわれる古い社で、住吉三神と神田宗次とを祀っています。
唐津の最大のお祭り「唐津くんち」は、唐津神社の秋季例大祭で、11/2~4に14台の曳山が唐津のまちを巡行します。
◆ 唐津神社とは
其の昔、神功皇后さまが三韓へ御渡海の折、舟路が不明のため、住吉の三神に祈願され無事目的を達成せられて、御帰還の際、松浦の海浜に 鏡を捧げておいのりされたのが起源とされています。
その後数百年も経って、その社殿さえわからなくなっていたとき、時の領主神田宗次公に、或夜神が夢枕に立たれ「海浜に至り、波の上に宝鏡のあるをとりて祈れ」というお告げをいただき、早速海浜に至れば波間に一つの箱があり、これ開けば正に宝鏡であった。
宗次公はこれ正しく、昔神功皇后が捧げられし宝鏡ならんと、その神威を畏こみ、このことを時の帝孝謙天皇に奏聞せられたところ朝廷におかれてはその神威を感じ給い詔命を降して「唐津大明神」と賜ったのであります。
その後幾星霜を経て文治二年その子孫神田広に至り社殿を再建して、祖先宗次公の功を追慕し、その神霊を合祀して二ノ宮としました。
慶長七年寺沢公が築城に際しては領内の守護神として崇敬し、その後大久保、松平、土井、水野、小笠原の各藩主も祈願所と定め、総氏神として崇敬の誠を捧げました。
明治六年郷杜、昭和十七年県社に列格、戦後は宗教法人として今日に至っております。
◆ 御祭神
一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公 相殿 水波能女神
◆ 御例祭
11月3日(唐津くんち)
◆ 縁起
其の昔、神功皇后、三韓へ渡海に際し道中安全を住吉三神に祈願奉る。帰朝の後、御神徳著しきを感じ松浦の海浜に宝鏡を懸げて三神の霊を祀り給ふ。
◆ 天平勝宝7年孝謙天皇の御宇・西暦755年
時の領主・神田宗次公、一夕神夢を得て海浜に至れば一筺の浮び来る有り。之を探りて開ければ一宝鏡なり。之、正しく皇后の捧げ給ひしものならむと畏みて帝に奏聞す。
唐津城は、豊臣秀吉の家臣“寺沢志摩守広高”が慶長7年(1602年)から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。
現在の天守閣は昭和41年に完成したものです。
別名「舞鶴城」ともいわれ、桜・藤の名所でもあります。
1Fにはお土産処も併設されています。
平成29年7月に天守閣内のリニューアルが行われました。
代表:井上 公之
先代 井上東也、当代 公之(こうじ)作の茶陶を中心に、生活に寄り添う器も展示販売しております。
■工房
展示場に隣接
工房見学:可(自由見学)※工房見学のみの来窯は不可
陶芸体験:可(電動ロクロの使用不可)
手びねり・絵付け ※各要予約、収容人数は条件あり
●松浦八景のひとつ
●眼病に益ある滝の観音菩薩堂
●渓谷に添う遊歩道
その荘厳な美しさにより日本の滝百選にも数えられる景勝地。八つの滝と淵で構成された渓谷に沿って遊歩道も設けられており、眼病にご利益があるとして多くの参拝客を集めています。
※ふもとから見る場合には、階段を登り降りする必要がございます。
※現在、滝のふもとまでの遊歩道は通行止めです。
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