「展示場建て替えのため、2021年10月1日よりふるさと会館アルピノ旧多目的ホールにて一時移転開業中」
豊穣の秋祭「唐津くんち」(毎年11/2~4)で使われる14台の曳山がずらり勢揃いしています。多種多様な姿勢の造形美は、稀に見る優れた工芸品として、佐賀県の重要有形文化財に指定されています。
唐津のまちの中心部にある唐津神社は、入口にそびえたつ白い鳥居が印象的。
建てられたのが奈良時代といわれる古い社で、住吉三神と神田宗次とを祀っています。
唐津の最大のお祭り「唐津くんち」は、唐津神社の秋季例大祭で、11/2~4に14台の曳山が唐津のまちを巡行します。
◆ 唐津神社とは
其の昔、神功皇后さまが三韓へ御渡海の折、舟路が不明のため、住吉の三神に祈願され無事目的を達成せられて、御帰還の際、松浦の海浜に 鏡を捧げておいのりされたのが起源とされています。
その後数百年も経って、その社殿さえわからなくなっていたとき、時の領主神田宗次公に、或夜神が夢枕に立たれ「海浜に至り、波の上に宝鏡のあるをとりて祈れ」というお告げをいただき、早速海浜に至れば波間に一つの箱があり、これ開けば正に宝鏡であった。
宗次公はこれ正しく、昔神功皇后が捧げられし宝鏡ならんと、その神威を畏こみ、このことを時の帝孝謙天皇に奏聞せられたところ朝廷におかれてはその神威を感じ給い詔命を降して「唐津大明神」と賜ったのであります。
その後幾星霜を経て文治二年その子孫神田広に至り社殿を再建して、祖先宗次公の功を追慕し、その神霊を合祀して二ノ宮としました。
慶長七年寺沢公が築城に際しては領内の守護神として崇敬し、その後大久保、松平、土井、水野、小笠原の各藩主も祈願所と定め、総氏神として崇敬の誠を捧げました。
明治六年郷杜、昭和十七年県社に列格、戦後は宗教法人として今日に至っております。
◆ 御祭神
一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公 相殿 水波能女神
◆ 御例祭
11月3日(唐津くんち)
◆ 縁起
其の昔、神功皇后、三韓へ渡海に際し道中安全を住吉三神に祈願奉る。帰朝の後、御神徳著しきを感じ松浦の海浜に宝鏡を懸げて三神の霊を祀り給ふ。
◆ 天平勝宝7年孝謙天皇の御宇・西暦755年
時の領主・神田宗次公、一夕神夢を得て海浜に至れば一筺の浮び来る有り。之を探りて開ければ一宝鏡なり。之、正しく皇后の捧げ給ひしものならむと畏みて帝に奏聞す。
佐賀県指定重要文化財
竣工 1912年(明治45年)
設計監修 辰野金吾(唐津市出身)
旧唐津銀行は、 日本建築史に残る辰野金吾博士の弟子・田中実設計によるもので、明治45年築のクイーン・アン様式建築です。その優美なデザインに、唐津炭田の隆盛が偲ばれます。
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