『源氏物語』に関連する唐津市内の史跡を訪ねよう♪<車orタクシー利用を想定>
Q.『源氏物語』の作者・紫式部はどうして唐津の地理を知っていたの?
A.紫式部の女友達が平安京から肥前国へ下って紫式部と文通していたので、女友達から唐津の地理について知らされたと考えられます
鏡神社は、神功皇后が戦勝を祈願するために、鏡山山頂に祠を建てたのが始まりと伝えられています。唐津で最も古い神社で、源氏物語の「玉鬘の巻」にも歌が詠まれています。また、社宝の絹本着色楊柳観音像は、国の重要文化財に指定されています。
『源氏物語』<玉鬘>の帖で「松浦なる鏡の神」と和歌に詠まれた鏡神社です。
紫式部の家集『紫式部集』において紫式部が肥前国に住む女友達へ送った歌にも「松浦なる鏡の神」と詠まれています。
古代の唐津について知ろう
玉葛窟(たまかずらいわや)古墳とも呼ばれます。
※Googleでは「玉蔓古墳」で表示
玉鬘古墳への入り口見学と看板見学にとどめます。
『源氏物語』に登場する姫、玉鬘が豪族からの求婚から逃れるために隠れたほら穴という伝説があります。
『源氏物語』に登場する姫、玉鬘は都に戻るべく「松浦の宮の前の渚」(=鏡神社の前に広がる渚=現在の松浦川・唐津湾)から船出しました。
鏡山展望台から唐津湾と唐津市街を一望。
山頂にある「松浦佐用姫」像も必見。
『源氏物語』に書かれている「松浦なる鏡の神」は松浦佐用姫のことではないかという説もあります。
唐津城は、豊臣秀吉の家臣“寺沢志摩守広高”が慶長7年(1602年)から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。
現在の天守閣は昭和41年に完成したものです。
別名「舞鶴城」ともいわれ、桜・藤の名所でもあります。
1Fにはお土産処も併設されています。
平成29年7月に天守閣内のリニューアルが行われました。
『源氏物語』<玉鬘>の帖に詠まれた歌に「浮島(うきしま)」という語が出てきます。
「浮島」は平安時代に松浦川の河口にあった洲だと思われます。現在、唐津城がある満島山あたりとも東唐津のあたりとも?
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