唐津かけあし
魚介類・干物・野菜・果物・漬物・生花・菓子・陶器
イカの町呼子の朝は朝市のおばちゃんの元気な声で明けていきます。
元旦を除き毎日市が開かれ、おばちゃんとの会話や触れ合いで、おまけがついたりして楽しいお買い物を提供します。
日常のスーパーでのお買い物と違った触れ合いの異空間をお楽しみください。
七ツ釜の自然と神秘の世界へ、イカ丸で探検だ!!!
神秘の洞窟・七ツ釜探検を手軽に楽しめるのがイカ丸遊覧です。
奇岩景勝の地として古来より知られる七ツ釜の洞窟は、
まるで7つのカマドを並べたような見た目の海蝕洞窟。
洞窟に入る瞬間は船首に乗って迫力満点のワクワクドキドキ!
柱状の玄武岩が積層した断崖を間近で見ることができ、
その姿はまさに自然のつくった芸術品です。
イカを模したイカしたデザインのイカ丸に乗りイカになった気分で、
海上からの七ツ釜鑑賞と呼子クルージングを是非お楽しみください~!
●呼子大橋
ハープのような弧を張るPC斜張橋 平成元年に開通した、呼子と加部島を結ぶ全長728mの斜張橋です。夕日を背景にしたシルエットは、呼子の新しいビューポイントともなっています。
●弁天遊歩橋
呼子大橋の眼下の遊歩橋(220m) 呼子大橋のたもとにある弁天島にかかる遊歩橋。足もとは海。呼子大橋を見上げながらの散歩は格別 。
唐津のまちの中心部にある唐津神社は、入口にそびえたつ白い鳥居が印象的。
建てられたのが奈良時代といわれる古い社で、住吉三神と神田宗次とを祀っています。
唐津の最大のお祭り「唐津くんち」は、唐津神社の秋季例大祭で、11/2~4に14台の曳山が唐津のまちを巡行します。
◆ 唐津神社とは
其の昔、神功皇后さまが三韓へ御渡海の折、舟路が不明のため、住吉の三神に祈願され無事目的を達成せられて、御帰還の際、松浦の海浜に 鏡を捧げておいのりされたのが起源とされています。
その後数百年も経って、その社殿さえわからなくなっていたとき、時の領主神田宗次公に、或夜神が夢枕に立たれ「海浜に至り、波の上に宝鏡のあるをとりて祈れ」というお告げをいただき、早速海浜に至れば波間に一つの箱があり、これ開けば正に宝鏡であった。
宗次公はこれ正しく、昔神功皇后が捧げられし宝鏡ならんと、その神威を畏こみ、このことを時の帝孝謙天皇に奏聞せられたところ朝廷におかれてはその神威を感じ給い詔命を降して「唐津大明神」と賜ったのであります。
その後幾星霜を経て文治二年その子孫神田広に至り社殿を再建して、祖先宗次公の功を追慕し、その神霊を合祀して二ノ宮としました。
慶長七年寺沢公が築城に際しては領内の守護神として崇敬し、その後大久保、松平、土井、水野、小笠原の各藩主も祈願所と定め、総氏神として崇敬の誠を捧げました。
明治六年郷杜、昭和十七年県社に列格、戦後は宗教法人として今日に至っております。
◆ 御祭神
一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公 相殿 水波能女神
◆ 御例祭
11月3日(唐津くんち)
◆ 縁起
其の昔、神功皇后、三韓へ渡海に際し道中安全を住吉三神に祈願奉る。帰朝の後、御神徳著しきを感じ松浦の海浜に宝鏡を懸げて三神の霊を祀り給ふ。
◆ 天平勝宝7年孝謙天皇の御宇・西暦755年
時の領主・神田宗次公、一夕神夢を得て海浜に至れば一筺の浮び来る有り。之を探りて開ければ一宝鏡なり。之、正しく皇后の捧げ給ひしものならむと畏みて帝に奏聞す。
国指定重要文化財。
旧高取邸は木造(明治後期頃築造)で杵島炭鉱の経営者として知られる「高取伊好(これよし)」の邸宅です。
邸内に能舞台を配すなど和風を基調としながらも洋館も併設されています。
杉戸絵、七宝焼の引戸金具や欄間の意匠も見事です。
唐津城は、豊臣秀吉の家臣“寺沢志摩守広高”が慶長7年(1602年)から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。
現在の天守閣は昭和41年に完成したものです。
別名「舞鶴城」ともいわれ、桜・藤の名所でもあります。
1Fにはお土産処も併設されています。
平成29年7月に天守閣内のリニューアルが行われました。
唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長約4.5km、幅約500mにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。
NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!
また、虹の松原には昔から語り継がれた「七不思議」があります
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